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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)4901号 判決

原告 野口惣一

被告 加藤一敬

右訴訟代理人弁護士 長尾仁司

主文

一  被告は原告に対し、金八〇万四二六〇円およびこれに対する昭和四五年七月一二日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金三五〇万円およびこれに対する昭和四二年一月八日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は被告に対し、昭和三七年一〇月一二日原告所有の東京都大田区東雪谷三丁目二六番一一号所在木造瓦葺二階建居宅(延床面積一七五平方メートル、以下本件建物という)のうち二階南西側部分六畳一間三畳二間等二七平方メートルを賃料一ヵ月一万五〇〇〇円で賃貸し引渡した。

2  昭和四二年一月七日午後一〇時頃被告の賃借部分である前記二階六畳の間において、被告使用中の石油ストーブの火が被告の布団あるいは押入れの襖、カーテンに燃え移り、そのため本件建物が火災となり、被告の賃借部分は全焼し、その階下部分の天井も半焼し、右建物中階下南西側約六六平方メートルは冠水のため汚損ないし破損した。

3  右火災は被告の次のような過失によって発生したものである。

すなわち、被告は石油ストーブの自動点火ダイヤルを点火の位置に操作して放置すればストーブに点火された火炎がストーブの燃焼筒より上へ燃え上ること、ストーブの付近には布団、襖、カーテンなどがあるのだから燃え上った火炎がそれらに燃え移る危険性の大きいことを充分認識しながら、漫然と石油ストーブの点火ダイヤルを点火の位置に操作したまま就寝したため、本件火炎となったものである。

4  右の被告の過失は重大な過失であるから、被告は原告に対し、民法七〇九条、失火ノ責任ニ関スル法律に基き、右火災によって原告の蒙った損害を賠償する責任がある。

5  かりに右過失が重大な過失に該らないとしても、被告は建物の一部の賃借人として賃借部分を管理し契約終了時に賃貸人に返還する義務を負うのみならず、賃借部分以外の部分を損傷して賃貸人に損害を与えないように賃借部分を管理使用する義務を負うにもかかわらずこれを怠り、前記の過失により本件火災を発生させてその賃借部分を全焼させたほか前記のとおり右賃借部分以外の部分に損傷を与えたのであるから、賃貸借契約の債務不履行により被告は原告に対し右火災によって原告の蒙った損害を賠償する責任がある。

6  原告は右火災によって次のとおり合計三五〇万円の損害を受けた。

(一) 本件家屋の焼失部分、半焼部分、冠水による汚損、破損部分の原状回復費用

(二) テレビ一台、ラジオ一台、整理タンス一竿、書画一一点、額一一個、ベッ甲製メガネ一個、その他の什器、敷布団一一枚、かけ布団一二枚、毛布五枚、婦人着物四着、背広二着、その他の寝具、衣類の汚損、破損による損害 一〇〇万円

(三) 本件家屋の修復中原告の家族が他に居住するために要した費用 五万円

(四) 本件火災のために失なった本件建物各部分の賃貸による賃料収入 三五万円

原告は本件建物の各部分を被告外三名に賃貸し毎月五六、五〇〇円の賃料収入を得ていたところ、本件火災によって被告の賃借部分は焼失し、また他の三名の賃借部分については直接火災による損害は免れたものの、右三名が電気、ガス、水道の停止、火災による悪印象などを理由に解約したので、その後六ヵ月の間右賃料収入を得られなかった。

(五) 本件建物中貸室部分の補修費 一〇万円

(四)記載のような悪条件で賃借人を得るためには貸室部分の畳替え、壁の塗り替え、障子襖の張替などをなさざるをえなかった。

(六) 本件訴訟の準備に要した費用 一五万円

(七) 慰謝料 一〇五万円

原告は本件火災によって厳寒期に生活の場と収入を失ない、老母と子供をかかえて前途の生活を考えねばならず多大の精神的苦痛を受けた。これをつぐなうに足る慰謝料は一〇五万円を下らない。

原告は以上(一)ないし(七)の合計四七〇万円の損害を受けたが、既に火災保険金一二〇万円を受領しているので、原告の実損害は右金四七〇万円から一二〇万円を差引いた三五〇万円である。

7  よって、原告は被告に対し、右損害金三五〇万円と、これに対する本件火災の翌日である昭和四二年一月八日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1の事実は認める。

請求原因2の事実中原告主張の日時に被告の賃借部分を含む本件建物が火災となったことは認めるが、その余の事実並びに請求原因3ないし6の事実はいずれも否認する。

第三証拠≪省略≫

理由

一  請求原因1の事実並びに原告主張の日時に被告の賃借部分を含む本件建物が火災となったことは当事者間に争いがない。

二  ≪証拠省略≫を総合すると、被告は、本件火災当日午後七時頃帰宅し、石油ストーブ(東芝製kSV二〇二E型、自動点火装置付)に点火しようとしたが点火しなかったため、当時別に使用していたガスストーブだけに点火して暖をとり、その際石油ストーブの点火・火力調整兼用のレバーを消火位置に戻さず点火位置のままで放置し、それから一時間半位後にも点火していなかったのでガスストーブは消したが石油ストーブのことは気にとめずに就寝してしまったところ、右石油ストーブは芯が炭化していて石油の浸透が緩慢であったため点火しなかったもので、点火レバーを点火位置のままにしておけば長時間経過するうちには遂に点火して火災が高く上がる状態にあったため、被告就寝後になってようやく点火し、火炎が高く上がって近くの押入の襖、カーテン、被告の布団等に燃え移って本件火炎となり、その結果本件建物のうち被告の賃借部分が全焼しその階下部分の天井も半焼したほか、階下のかなりの部分が消火活動等により汚損ないし破損するに至ったことが認められ、これを左右するに足る証拠はない。

三  原告は右失火につき被告に重大な過失があったと主張するけれども、失火ノ責任ニ関スル法律の但書に規定する重大な過失とは、通常人に要求される程度の相当な注意をしないでも、わずかの注意さえすれば、たやすく違法有害な結果を予見することができた場合であるのに、漫然これを見すごしたようなほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態を指す(最高裁判所第三小法廷昭和三二年七月九日判決)のであって、前認定のように点火用レバーを点火位置にしたまま一時間半も経過して点火しなかった石油ストーブがさらに時間が経過した後に点火するに至るということは、被告においてわずかの注意を払えば予見することができたとはいえず、被告がその石油ストーブを気にとめずそのまま放置して就寝したからといって、被告に右の意味での重大な過失があったとは認めがたく、原告の右主張は採用することができない。

しかし≪証拠省略≫によると、被告は本件石油ストーブは以前から芯が炭化していて火つきが悪く時々マッチで点火しており、また点火後焔が高く上がるので前記レバーを戻して火力を調整して使用していたというのであるから、被告としては芯が炭化していてもなんらかの火気を近づければ点火して焔が高く上がるに至るであろうことは知っていたのであり、そのような石油ストーブの点火レバーを点火の位置にしたまま放置したのは不注意であって、被告には軽過失があったというべきである。被告は右過失によって賃借物を火災にかからせて焼燬させ、その結果右賃借物の返還義務の履行を不能ならしめたのであって、賃貸人たる原告に対しこれによる損害を賠償する義務がある。そして被告の賃借部分は本件建物のうち二階南西側部分であって本件建物とは構造上不可分一体をなしており、このような場合には、被告の右損害賠償義務は賃借部分だけでなくこれに接している本件建物の他の部分に生じた損害についても及ぶものと解するのが相当である(東京高等裁判所第四民事部昭和四〇年一二月一四日判決参照)。

四  そこで原告の受けた損害について判断する。

(一)  ≪証拠省略≫によれば請求原因6(一)記載の損害として一四三万八、九九〇円を認めることができ、≪証拠省略≫には→本件家屋の焼失、半焼、冠水による損害が一五五万二五〇〇円である旨記載があるが、右は原告の作成した見積額であって、これをもって現実の損害とは断定し難く、他に請求原因6(一)の損害中右認定したその余の損害についてこれを認める証拠はない。

(二)  ≪証拠省略≫によれば請求原因6(二)記載の損害として一八万五二七〇円(≪証拠省略≫記載の米およびタバコの損害は原告主張の損害のいずれにも当らない)を認めることができ、その余の損害についてはこれを認めるに足りる証拠はない。

(三)  ≪証拠省略≫によれば、請求原因6(三)記載の損害五万円を認めることができ、これを覆す反証はない。

(四)  ≪証拠省略≫によれば、請求原因6(四)記載の損害のうち、本件建物の各部分を賃貸していた被告外三名のうち被告のみ本件火災直後他に転居し、被告に賃貸した部分についてはこれが焼失したためその後六ヵ月間の賃料収入を失つたことが認められ、被告に対する一ヵ月の賃料は一万五〇〇〇円であること当事者間に争いないので、その損害は九万円であるものというべく、その余の損害についてはこれを認めるに足りる証拠はない。

(五)  請求原因6(五)記載の損害についてはこれを認めるに足りる証拠はない。

請求原因6(六)記載の損害については、≪証拠省略≫中本件訴訟を提起するために要した弁護士の鑑定料、調停に出頭した交通費等を支出した旨の供述もあるが、しかし原告本人尋問の結果によれば右支出した金額がはっきりしないことが認められる。

(六)  ≪証拠省略≫によれば、原告は、老母と三人の子供とともに本件建物に居住しており、一家の生計は本件建物の各部分を間貸しすることによって得る賃料収入によっていたのであって、原告が本件火災によって受けた精神的苦痛は少なからぬものがあったことが窺われ、本件火災前すでに四年余にわたって被告と同一建物内に居住していた被告は原告の右事情を知っており、原告の右精神的損害についても予見可能であったと認められるから、被告には本件火災によって原告の受けた精神的損害を賠償する義務があり、本件に現われた諸事情を勘案すると原告の右精神的苦痛は三〇万円をもって慰謝されるのが相当である。

(七)  原告が本件火災による保険金一二〇万円を受領したことは原告の自白するところであるから、本件火災によって原告の受けた実損害は以上合計二〇六万四二六〇円から右一二〇万円を差引いた八六万四二六〇円である。

五  以上の事実によれば、原告の本訴請求は、右八六万四二六〇円と、これに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四五年七月一二日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林信次 裁判官 西村四郎 裁判官小圷真史は職務代行を解かれたので署名押印できない。裁判長裁判官 小林信次)

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